テレビは観るものでなく、出るもの!?

本日は知人が書いた本の紹介ですが、
大内優さんの
「テレビ活用」7つの成功ルール
(同文館出版)
というものです。

大内さんは、
テレビ局に勤めていた経験を生かし、
メディア戦略の
コンサルタントをしている方。

その仕事には、
クライアントさんのプレスリリースをつくり、
テレビに出ることを通して、
ブレイクするきっかけをつくってあげることも
含まれているんですね。

いまどきテレビ……というと、
ネットメディアに押されている感もあります。

ただ、全国放送であれば、
視聴率1パーセントで、
120万人が見ている計算です。
これほど影響力の高い媒体は、
いまだどこにも存在しません。

さらにテレビなんて自分と違う世界のこと
……と感じる方も多いでしょう。
私などもそうですが、
じつはケーブルテレビに、衛星放送に、
インターネットテレビに……と、
いまはそれなりのニーズに応える
小さな放送局が山ほど登場しているわけです。

これらに自分を売り込むことで、
無料でマーケティングができる
……とすれば、
じつは大勢の人にチャンスがありますよね。

もちろん、ただテレビに出れば、
お客さんが増えたり、
商品が売れるというわけではない。
そこからは「戦略」が必要になりますが、
気になる方は
本書を読んでくださいませ(笑)

私が参考になったのは、
プレスリリースの文章術。

その基本は、
「60文字3行」の文章を規準にして、
これを起承転結の4段構成にする
……という書き方です。

じつは「60文字」を声に出して読めば、
およそ15秒。
これは一画面のみに人が集中してくれる
最大の時間なんだそうです。
それをオーバーすると、
とたんに飽きられてしまう……。

飽きてきたら、
忙しいテレビ局の方々は、もう読んでくれない。
でも、一般の人だってそうですよね。
とくにSNSなんて、
ほとんど文章を読んでくれないわけです。
自分も少し、気にしないといけません。

また大内さんの新しい本が
9月には出るとのこと。
そちらも楽しみにしたいです!



[常識転換の読書術]

「人形供養」の発想術

先日は、
上野の博物館に行った話をしました。
こちらはそのとき寄った
寛永寺の清水観音堂。
その脇にあります
「人形供養の碑」ですね。

もともとは安産を祈願して、
人形を奉納したことから
始まったそうですが、
寛永寺には全国から
人形やぬいぐるみが寄せられ、
9月にまとめて供養したうえで
荼毘にふされるそうです。

この人形供養は全国のいろんなお寺で
行なわれています。

もともと「モノに魂が宿る」というのは、
日本人的な発想ですよね。

なかでも「人形」というのは、
きわめて人に近いもの。
思いも込められますから、
「捨てる」のは申し訳ない。

髪も伸びたりするくらいですから、
恨んで出てきそうで、やはり怖い……。

そこで、ちゃんと供養をしてもらう。

所有者の自己満足には違いありませんが、
ステップを踏まなければ、
気軽に処分できないわけです。

でも、私たちのこんな感情には、
「モノに対する感謝の気持ち」が
あるからだと思います。

ある種の人形は、
とくに女の子にとっては、
友人に近い存在になるもの。

けれども歳をとるに従って、
そんなピュアな心は失われていく。
人形はそれとともに
「不要なもの」になるのですが、
「感謝して処分する」という
ダンドリを経ないと、その先に進みにくい。

一種の通過儀礼になっているわけですね。

でも、こうした「感謝の心」は、
人間関係にも通ずるもの。
出逢った人に感謝できる人と、
そうでない人とでは、
成長においても差がついてきます。

ですから、身近なモノにだって、
ちゃんと感謝をしておきたい。

人形は象徴的ですが、
通信機器にOA機器に電化製品に……と、
考えてみたら現代は
「使い捨て文化」が蔓延しています。

いらなくなったら新しいモノに買い換える。
……それは当然ですが、
その都度、どれだけ古いモノを
感謝して処分できるか?

案外とその気持ちがあるかどうかは、
人間関係にも反映されるのかもしれません。
お寺に奉納する必要はありませんが、
せめて
「いままで、ありがとうね」と言って、
買い換える気持ちを持ちたいなあ。



[仕事ができる人の歴史入門]
夏川の「日本史」入門はこちら

「自助論」で取り上げなかった偉大な発明家

先日、8月3日は、
リチャード・アークライトという人物の
死後、226年という日でした。

といって、それは誰だ?
……ですよね。

イギリスの技術者で、
「水車で動く紡績機」
を発明した人。
産業革命の担い手の1人になりました。
現在でもイギリスでは、
若い技術者に、彼の名前を称した
奨学金が払われるそうです。

君はこの言葉を知っているか?
では、豊田佐吉さんに影響を与えた
『自助論』の言葉を紹介しました。

「天は自ら助くる者を助く」

この言葉も
トヨタ創業者を動かしたのですが、
彼がとりわけ気に入ったエピソードが、
『自助論』に掲載されていた
アークライトさんの話だった
……というんです。

そこで改めて私が訳した
スマイルズの「自助論」』を見ると、
アークライトさんの話が
載っていない……(苦笑)

じつはページ数の都合で
カットした部分だったんです。

そこであらためて、彼の話を紹介すると。
『自助論』に紹介される多くの人物と同様、
非常に貧しい家に生まれた人物。

そこで最初に彼が選んだ仕事は、床屋さん。
でも、すぐに「こちらのほうが儲かる」と、
「かつら職人」にジョブチェンジします。

女性に声をかけては、
「髪をわけてくれないか?」と
交渉していたそうですが、
その過程で技術者としての才能を
開花させる。

その腕をもって、当時は最先端だった
紡績機械の発明に挑戦するんですね。

やがて彼は工場を立ち上げ。
労働争議と闘いながら、
その規模を拡大させていきます。

発明家としての才だけでなく、
ビジネスパーソンとしての嗅覚にも
優れていたアークライトさん。

でも、じつは「読み書き」を
ちゃんと勉強したのは、
ひと財産をつくった50歳になってから
……だったとか。

その後、
「ナイト」の称号まで得ますが、
それでも成功する人は
ちゃんと成功するわけです。

『自助論』で取り上げられなかった人物は、
折を見て紹介していきたいですね。



Words of Wisdom〜君はこの言葉を知っているか?

いまだから縄文思考!

本日は時間をつくって、
上野の国立博物館で開催されている
縄文〜1万年の美の鼓動
という特別展を観に行きました!

なにより大学時代は
考古学が専門だった私。
縄文の遺跡を発掘したこともあります。
行けばやっぱりワクワクしますよね。

国宝の火焔型土器と、土偶5つが勢揃い。
でも、縄文展にこれだけ人がいるのは、
ちょっとビックリ。

仕事ができる人の「日本史」入門
でも、
縄文時代にはページを割いています。

狩猟採集を中心とした生活で、
小規模な集落をつくり、
自然とともに生きる。

日本人はそんな時代を、
国をつくるよりずっと長く、
1万年以上を過ごしてきたわけです。
その精神は私たちと中に、
ちゃんと眠っていると思っています。

ただ、日本人がもう
忘れかけている思考もある……。

たまたまですが、
ちょうど国学院大学の小林達雄先生と、
デザイナーの佐藤卓さんの対談が
実施されていました。
それを聞かせてもらうと、
やっぱり縄文人の考え方は面白い。

とくに興味深いのは、
「火焔型土器」の話です。
絵ハガキの真ん中にある
炎が燃えているような土器ですね。

新潟を中心に出土する
縄文中期の特徴的な土器ですが、
じつは明確な規準のもとにつくられていて
「王冠型土器」と対にもなっています。

この土器、
じつはちゃんと煮炊きにも使用された
実用的なもの。

それでいて、この形はといえば、
およそ実用に向かない装飾を
どんどん施す方向に発展していくわけです。

効率的ではないけれど、
日本人はその様式美のほうを
重視していた。

ほかのどこの国にもない、
日本の縄文土器にだけ見られる特徴です。

やがて農耕が始まり、
弥生時代からは、実用重視の土器に変わっていく。
その流れは、
現在の効率第一主義の時代にまで
続いているのでしょう。

でも、ムダを承知で、
「形」や「表現」を重視する時代を
私たちは1万年過ごしてきました。

効率主義が限界に達している現代、
縄文時代のような思考は、
人生をより深いものにするために。
逆に求められているような気がします!

展示は9月までやっているので、
興味ある方は、ぜひにです!



[仕事ができる人の歴史入門]
夏川の「日本史」入門はこちら

古典学のススメ33〜ヒロシマを語り継ぐ意味

久しぶりに古典の紹介。
といっても、
1965年に出版されたもので
そこまで古い本ではありません。

けれども8月6日は
広島の原爆記念日ということで、
引っ張り出してみました。

『ヒロシマ・ノート』(岩波新書)
ですね。
ノーベル文学賞作家、
大江健三郎さんの本です。

広島に原爆が投下されたのは、
1945年のこと。
大江さんが最初にレポートしたのは、
その20年後……ですが、
まだ苦しむ被災者は大勢いたわけです。

「かれらのあるものは一瞬、
蒸発してしまったし、
あるものはいまなお、
白血球の数におびえながら
その過酷な運命を、生きつづけている」

それからさらに
50年以上の歳月が流れ、
原爆投下日の記憶はだんだんと
薄れつつあります。

ただ、厚生省のホームページを見ると、
現在も15万4859人の被爆者が
日本全国で闘病生活を送られています。
平均年齢は82歳になるそうですが、
長く厳しい道を生き抜いてきた思いを想像すると
本当に胸が苦しくなります。

広島、長崎から73年。
人類が持っている核兵器の数は増え、
その威力は何倍にもなりました。

ただ、いまだこの2つの都市は、
核によってジェノサイドが行なわれた
唯一の例。
つまりは、
この2都市で起こったことの悲惨さが、
持っている国家にとって
恐怖のブレーキになり続けているからでしょう。

それには悲惨さを伝えてきた人々の
努力があったことも大きかったはずです。

「ヒロシマ・ノート」で大江さんは、
「その思想を記憶し、記録し続けたい」
と言う。
理由はこうです。

「広島は人類全体の
最も鋭く露出した傷のようなものだ。
そこに人間の恢復の希望と腐敗の危険との
2つの芽の露頭がある。
もし、われわれ日本人がそれをしなければ、
この唯一の地にほの見える恢復の兆しは
朽ち果ててしまう」

間違いなく、その記憶の継承は、
21世紀に生きる日本人の
大きな課題となっているのでは
ないでしょうか。



[夏川賀央の「古典学のススメ」]