都心に残る、戦争のころの名残

青山一丁目の駅から、
青山墓地のほうへちょっと歩くと、
かなりの広さのある公園があります。

墓地の一画のように見えて
少しわかりにくいのですが、
これが「青山公園」という場所。

入ってみると以外に奥行きがあり、
ただ木々と、
円形の座れる場所がたくさんあるだけ。

用途がかなりわかりにくいのですが、
休憩中のサラリーマンの方と、
お散歩中の高齢の方と、
犬を連れたセレブの奥様のような方
……が混在している、
なんともバラエティ豊かになっていました。

じつは写真は「北地区」という場所で、
さらに500メートル離れた場所に
「南地区」の公園もあります。

なんでこんなムダに広い
謎めいた公園があるのか……といえば、
もともとここは「基地」だったんですね。

その歴史は明治時代にまでさかのぼりますが、
東京を守る「歩兵第3連隊」として、
第二次世界大戦のころまで
この一帯が駐屯地になっていました。

戦後、その広大な駐屯地は、
すべて占領米軍の接収地になります。

これが徐々に返還されていき、
一部は政策大学院などの研究施設に、
一部はいまの
「国立新美術館」に、
残りが「公園」として整備されたんですね。
ちなみにヘリポートなど、
現在も米軍が所有している場所も
残っています。

この「残っている米軍の施設」に
関しては、
現在も東京都が交渉中だとのこと。
だからこんな中途半端な、
不可思議な土地の
使われ方をしているのでしょう。

戦争のころの傷跡というのは、
いまだ知らないところで
こんなふうに残っているんですね。

ただ何もない公園は公園で、
いろんな利用のされ方をされています。
通ったときに時間があれば、
気分転換に散策してみては
いかがでしょうか!



[仕事ができる人の歴史入門]
夏川の「日本史」入門はこちら

「サバ缶」の仕事術

私は初めて、
この食品を食べたかもしれません。

「サバ缶」ですね。

昨年辺りから
テレビ等で紹介されたこともあり、
ブームになっているそうです。

売上は1・5倍になり、
いまやツナ缶を抜いた市場になっているとか。

まあ、基本「サバ」ですからね。
栄養はあります!

「頭をよくする」とされる、
ドコサヘキサエン酸。
「肥満にもいい」とされる
EPA。
それに「骨をつくる」カルシウムと。

別にサバを焼いて食べてもいいのですが、
手軽さと100円〜200円で買える
「安さ」も人気を呼んだようです。

実際、缶を開けると、
見た目、あまり美味しそうではありません。

でも、さすがに「サバ」ですから、
しょう油をかけてご飯にのっけるだけでも
それは当然、美味しいです。

「さまざまな料理に使える」
ということですから、
工夫の仕方はいろいろあるのでしょう。

近年、家で魚を食べる機会というのは、
やはり減少傾向にあるようです。

というのも、みんな忙しいですから、
手間のかかる焼き物や煮物は、
どうしても遠ざかりがち。

「近所の魚屋」というのは、
もう都会では少なくなっていますから、
新鮮な食材も忙しい人は、
買いに行くのが面倒になっている。

それで食卓に出る機会が少なくなれば、
当然、「小さい頃から肉が主体」と
なっていくわけです。
私ですら、東京で生まれたこともあり、
魚より肉のほうが
圧倒的に多かったですものね。

ですから、こうした食品が
見直されることは、
やっぱり日本人に魚を回帰させる
1つのきっかけにもなるのでしょう。

いいんじゃないでしょうかね。
ふだんから食べる魚料理の
バリエーションを増やしていけば、

むしろこの「サバ缶」を食べて、
しばらく食べてなかった
鮭缶の味を思い出しました。
あっちのほうが骨は美味しいから、
あらためて食べたいかも。



[効率無視の仕事術]

「手押しポンプ」の仕事術

広尾の近く、
外苑西通りに面したところになりますが、
ふと道ばたに、こんなものが!

「手押しポンプ」……ですね。

下の小さな井戸のようなものは
塞がっています。
なので奥のブティックかレストランが、
オブジェのように飾っているのでしょう。
なんか不思議にお洒落ですよね。

いまでも現役で、使っている場所もある
このポンプ。
その構造って、どうなっているか。
知っているでしょうか?

じつはまったく簡単なもので、
ポンプの先には、
その直径と同じくらいの
平坦な丸い金属があるだけなんです。

ハンドルを上下させると、
この金属も上下して、
筒の中の空気が出ていく。

すると真空に近い状態になって、
大気圧の力で
水が押し上げられる。
これがピストンの仕組みなんですね。

原理は単純、
でも、よくこんなことができると
気づいたな……と思ってしまいますが、
その起源はわかっているとのこと。

紀元前3世紀という古い時代、
エジプトのアレキサンドリアに
住んでいたギリシャ人の発明家。
キテンピオス……という人が、
文献にこの装置の仕組みを
記述しているそうなんです。

なんでも彼はもともとは床屋さん。
ということは職人で
ギリシャ時代を考えれば
そうそう裕福でなかったでしょう。

でも発明好きで
「水時計」とか「パイプオルガン」も
発明したそうです。

地味ではあるものの、
これがどれくらい長い間、
どれくらいの人に恩恵を与えてきたか。

いまでもインフラの乏しい地域では
貴重な水を供給する手段に
なっているでしょう。

日本でも災害で水道が止まったりすると、
真っ先にこれが設置されたりします。

そして都会では、
お洒落なお店の外観を飾ったり……。

そう考えてみると、キテンピオスさん。
アルキメデスや
のちのエジソンのような知名度は
ありませんが、
もっと称賛すべき方なのかもですね。



[公私混同の時間]

大海原に乗り出した日本人

7月15日は、「海の日」ですね。

でも、なんで海の日なんだっけかな?
……と考えると、
よくわからない。

もともと
「7月に休日が少ない」
ということで、
20日を強引に休日にしたのが始まり。
一応は、明治天皇が明治丸での
航海を終えた日……ということで、
記念日にはなっていたそうです。

それが「連休にしたほうがいい」
という趣旨で、
第3月曜日になりました!

とはいえ「海を記念する日」というのは、
世界的にも珍しいそうです。
でもやはり日本にとっては、
「海」は特別なものかもしれない。
あまりそれは認識されてませんよね。

というのも、多くの人は、
世界から見た日本を
「小さな島国」と
とらえているでしょう。

でも、海の面積を足した場合、
どのくらいの広さになるか
知っているでしょうか?

なんと世界第6位の広さ!

日本は、ブラジルやインドよりも
ずっと大きい国……ということに
なってしまうんですね。

だから海への進出を禁止した
江戸時代以前は、
大海原に乗り出していく日本人が
案外といました。

「彼らは朝鮮半島から中国大陸、
台湾、琉球、
あるいは東南アジアにまで進出し、
貿易をしたり、ときには略奪をしたりと、
海を行き来していたのです。
決して世界に対して
閉鎖的だったわけではありません」

仕事ができる人の「アジア史」入門
で書いたことですが、
その象徴となっているのが、
「倭冦」という海賊。
まあ、海賊行為をしたのは
日本人だけではありませんが、
そもそも室町から戦国時代は、
政府の統制はほとんど利いていない時期。

だから縦横無尽に
日本海や東シナ海を行き交って
ビジネスをする日本人が結構いたんですね。

その最後の輝きは、
山田長政という人物です。
戦国時代の終わりから、
江戸時代のはじめ。
タイのアユタヤ王朝に迎えられ、
現地で将軍にまでなりました。
写真のような美しい遺跡が残る国家ですね。

長政さんは
もともと籠担ぎだったそうですが、
このアユタヤ朝には、
戦国時代に行き場を失った武士が
多く渡っていました。
そして「日本人町」もつくっていたんですね。
戦国を生き抜いた武士は、
傭兵としてかなり重宝されたようです。

そんな広い海で活躍した
日本人の歴史。
もっと私たちは知っておき、
また現在につなげないといけないですよね。
決して「島国根性の民族」などでは、
まったくなかったわけですから。



[仕事ができる人の歴史入門]
夏川の「アジア史」入門はこちら

ホンダ社屋に隠された秘密

こちらは青山一丁目の交差点。

中央の白い高いビルが、
「ホンダ」の本社ですね。

画像は裏側からになりますが、
正面に回ると、
展示車なども飾ってあります。
人の出入りが激しかったから、
そこで写真を撮るのはひかえました。

にしても、ちょっと違和感のある
このビル。
手前や、向こうのビルと比べれば、
違いがわかるかもしれません。

窓が見えない……んですね。

裏側の道路に面したほうには、
並行に窓が並んでいます。
でも、正面はバルコニーが突き出し、
窓部分がすべて
凹んでいる形になっている……。

じつは有名なエピソードがあります。

ホンダの会社でデザイナーとして務めていた
岩倉信弥さんの
『本田宗一郎「一流の仕事ができる人」』
(知的生きかた文庫)
という本に、
そのエピソードが紹介されていました。

青山に新ビルを建てるとき、
最初は他の企業の新しいビルと同じように
全面がガラス張りの
おシャレな建物が予定されていたそうです。

ところがそれに、
本田宗一郎さんが反対したんですね。

「そのビル、もし地震などがあったら、
道路にガラスが落っこちるんじゃないか?」
「すると、歩いている人や
通行している車はどうなる? よく考えろ!」

それで現在のようにバルコニーが設けられ、
ガラス窓が割れても、
地上には落ちない構造になったんです。

「見た目」よりも、
「周りの人への配慮」を優先した
さすがの大経営者。

じつはこのビルには、災害があったときに、
地域住民のぶんも補えるだけの
水や非常食もストックしてあった
……と言います。
そこに居を構える以上、
周りの人に愛される会社でないといけない。

その発想はおそらく
自動車の開発における精神と
まったく同じだったのでしょう。

仕事をする人間は、
見習わないといけないですね。



[効率無視の仕事術]