昭和のはじまりはどんなだったのか?

4月29日は、「昭和の日」でした。
もともとは昭和天皇の誕生日ですね。

ゴールデンウィークを長くする、
本当にありがたいときに生まれてくださった
昭和天皇。
そしていよいよ、その1日後は、
平成最後の日……となったわけです。
いよいよですね。

するとちょっと気になるのは、
「昭和」がどのように始まったのか?

多くの人は「平成」の元号を
当時の小渕官房長官が掲げたのは、
覚えているでしょう。
でも、昭和の始まりは、
いまから93年前のことですからね。

昭和の前の大正時代は、
たった15年でした。
病弱だった天皇の急逝でしたから、
いまのようにお祝いムードではありません。
日本中がドタバタしていたんです。

そんな中で、毎日新聞がすっぱぬいて
新元号を発表。
それは
「『光文』に決定!」
というものだったんです。

「えっ? ですよね」
じつは「光文」は選定途中の候補の1つ。
極秘だったようですが、
やっぱり今回の令和のように
情報は漏れたんです。

ただ、そのときは内閣発表の前でした。
そこでかどうか知りませんが、
新しい元号はこれと違う
「昭和」に決まりました。
どうもすでにこっちが最終候補で、
新聞社は誤報だったとされています。

令和が始まるとき、
万葉集からの引用が話題になりました。
ならば「昭和」は、
一体どういう意味だったのか?

これは儒教の『書経』からの借用。

「百姓昭明、協和万邦」という、
堯王という伝説の王様を
讃えた文章だったんですね。

「国民が仲良くして、
それぞれの役割を果たせば、
国は発展し、世界とも共存できる」と、
そんな意味になるそうです。

ちなみに「平成」も、
『書経』と、
さらには『史記』にあった言葉。
ようは「平和」であることを願った文句。

昭和と趣旨は似ていますが、
かつての昭和時代には大戦を迎え、
平成時代も、
世界は決して穏やかではありませんでした。

その意味で、次の「令和」は、
「さわやか、なごやか」という
かつてなかったネーミング。
「平和を願う」だけでなく、
それを実現し、その一歩先へ行く
時代になってほしいですね。

写真は「Flashbak」というサイトから、
大正6年の東京だそうです。



[仕事ができる人の歴史入門]
夏川の「日本史」入門はこちら

本当は怖い!? 「つつじ」の話

近くで満開になっていました。
桜のシーズンから、
こちらの花のシーズンですね。

ツツジの花。
いや、サツキなんだろうか?
種類は同じようですが、
たぶんツツジじゃないか……。

で、このツツジ。
漢字でどう書くか、知っているでしょうか?

「躑躅」ですね。

なんだかいつも
「ドクロ(髑髏)」を思い出す難しい字ですが、
両方の漢字に「足」がついている。
一体どういう意味なんでしょう。

じつはこの字のまま
「てきちょく」と読んで、
「足踏みする」とか、
「行きつ戻りつする」。
転じてさらに、
「ためらう」という意味があるようです。

でも、どうしてツツジの花が、
「足踏みする」なのか?
ちょっと不思議ですよね。

調べると、
「花があまりに美しいから、
つい、足を止めて立ち止まってしまった」
なんていう、
ちょっとキレイな語源あるようです。

でも、もう1つ、
ちょっと怖い語源もあります。

それは、
「この花を葉を羊が食べると。
そのばで足をジタバタさせて、
死んでしまう」ということ。
それだけの毒を持った植物だ
……ということなんです。

そこで検索すると、
確かに「毒がある」そうです。

種類にもよるのですが、
とくにレンゲツツジという種は、
「グラヤノトキシン」とか
「ロドジャポニン」という
麻痺性の毒をもっていて、
口にすると人間でも
呼吸停止を起こすことがあるとか。

かつてはこれを殺虫剤に使用していた
そうなんですね。

といって、
ツツジの密を吸ったという方も
案外といるでしょう。
種類によりけりなのですが、
とくにオレンジや
黄色のものが危ないかも。

まあ、意外なものに
意外な危険があるんですね。
食べものでないものは、
極力、食べないことです。



[公私混同の時間]

まだ愛され続けてほしい「昭和」

早いもので、あと3日くらいで
「平成」という時代が終わるんですね。

そう考えると、なんかしみじみ。
願わくは来週を迎えてほしくもない
気がしたり……。

考えてみたら私は昭和生まれ。
令和の時代になると、
昭和から明治時代を思い出す
感じになるわけです。
「どれだけ昔なんだ」って
雰囲気ですよね。

ただ逆にいえば、
これから「昭和風」の価値は
増すのかな……?
という気もします。

そう思ったのも、写真は先日、
本の打ち上げで招待していただいた
神楽坂の居酒屋さん。
昭和風の古い家を、
そのままお店に改造しているんですね。

2階の個室でしたが、
木の階段をのぼった先に、床の廊下。
脇には木製のサイドボードがあって、
お花が置いてあったり。
その床につながって、
4畳半くらいの畳の部屋がいくつか
あったりします。

そういえば子供のころ、
こんな家に住んでいたな……なんて。
とても懐かしく思ってしまいました。

セレブというよりは、
「庶民的な家」の雰囲気ですが、
料理はものすごく美味しいところ。
もう1枚の写真は
「のどぐろ」の天ぷらですね。

こんな古民家を改造した
お店というのは、
家の近くにもいくつかあったりします。

最近は安全対策もあり、
昔の家は立て変えられる傾向にある。
むしろ「昭和風をそのまま残す」には、
外見を変えない形で安全対策をするぶん、
手間がかかることかもしれません。

でも、昭和を知らない人たちにとっては、
こういうのは
「異空間」なのでしょう。
私たちが「明治の建築物」に
感じるような価値が、これからどんどん
強くなっていくのでしょうね。

いいものはやっぱり残ってほしい。

令和になったらこれから、
「昭和の再発見」を目指していこうか
……なんて、
古典学の研究家でもある私は
考えています!





[効率無視の仕事術]

長い休みの前にやるべきこと

この土曜日から、
世間はゴールデンウィークに入りました。
初日はちょっと
残念な天気になりそうですが、
遠くにお出かけになる方も多いでしょう。

ゴールデンウィークだから
……というわけではありませんが、
私は金曜日、
車のタイヤを交換してきました。

4つのタイヤを全部、
これ、かなり痛い出費にはなるのですが、
先日、ガソリンスタンドで
洗車ついでに点検してもらったとき、
「タイヤがもう限界だ」
ということを指摘され、
「4月までなら割引するから」
という営業に、乗ってみたわけです。

通常であれば、
車検のときに交換したりするのですが、
前回はやっていない。
そろそろ時期だろうな
……と思ってはいました。
言われた機会にやってしまおう、と。

写真は同じガソリンスタンドで
撮った景色ですが、
手前になぜか、
前に乗っていたプジョー407。
まだ現役で乗っている人がいるんだなと、
ちょっと感動!

じつは同じ車に乗っているとき、
路上でタイヤがバーストしたことが
ありました。
最近のタイヤは、多少、パンクしても
まだまだ走れたりするのですが、
やっぱり安全を考えたら
早めに手を打つのに
越したことはないですよね。

そう言うのも、最近は立て続けに
痛ましい車の事故がありました。
いつでも車に乗っているということは、
無関係の人を巻き込む危険を
はらんでいます。

長い休み、
車でお出かけになる方もいるでしょう。
長く無事故で運転していると、
ついつい慢心してしまいます。
でも、トラブルはいつ起こるかわからない。

自分の体調面も含め、
いま一度、慎重なチェックをしてから、
万全の安全体制を整えて
楽しく出かけてほしいものです……。

そんな安全体制を引いた私ですが、
ゴールデンウィーク中に、
とくに遠出する予定はありません(苦笑)
今年は締切に追われています……。

まあ、お仕事があるのは
嬉しいことと思いましょうか。




[公私混同の時間]

「公園の土管」の仕事術

こちら港区の
「高輪台」の近くにある公園。

通称、「猿町公園」
……と呼ばれるところですが、
片隅にはこの令和になろうとする
時代にあって、
「昭和」を偲ばせる「土管」!

よくジャイアンがこの上で
リサイタルをしていましたよね。

いま、どれだけ日本の公園に
土管があるのか知りません。
でも、この猿町公園の土管は、
私が子供のころからあります。

妹と入って遊んだ記憶もあれば、
上から落ちてすりむいた記憶もある。
なんかいじめられて、
閉じ込められた記憶もあるかも。
当時はこんなカラフルではありませんでした。

遊び方に「創意工夫」も要される「土管」。
なんだか私は
ロマンなども感じるのですが(笑)、
これがかつて
公園や空き地に多く置かれたのには、
昭和のころの高度経済成長が
かかわっているそうです。

自分が生まれる前後の
昭和30年代から40年代というころ。
日本は経済成長をして、
下水道工事がさかんに行なわれました。

そのときに大量の土管が
必要になったんですね。

それでも
「いざ」というときに注文したのでは、
時間もかかってしまう。
だから当時はまだ多くあった空き地に、
あえて土管のストックを
置いておいたそうです。

そうしておけば、緊急のときに使える。
これが当然のごとく、
子供たちの遊び器具になったんですね。

ところが最近はまさか、
それほどの土管需要もない。
空き地は減っているし、
公園に土管を置くよりは
それなりの遊具のほうがいい。

おまけに落ちて怪我をしたり、
不安定に置かれた土管が転がって
子どもが亡くなる事故も
現実にあったそうなんですね。

それで多くの「空き地の土管」は
失われてしまいました。

それでも子供たちの発想力を磨くには
なかなかの材料になる。
そんな理由でしょうか。
安全対策をしたうえで、
この公園にはいまなお
「土管」が存続しているわけです。

土管よ永遠に……。
そう願うのですが、じつは近い将来、
この公園はなくなるようなことも
言われています。
土管の運命は、どうなるんでしょうかね。



[公私混同の時間]