日本文化の源流をつくった場所

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京都から戻ってきた本日ですが、
今日は念願だった、この場所に
来ることができました。

慈照寺、いわゆる「銀閣寺」です。

コロナ禍ではありますが、
遠足や修学旅行の一行とかち合わせました。
自分は来ていたのだろうか?

世界遺産ではありますが、
他の京都の名所と比べれば地味ですからね。
印象には薄くなるかもです。

でも、ここは日本文化には重要な場所。
とくに『武士道』や『茶の本』を
現代語訳したあとでは、
いつか行こうという気持ちが強くなりました。

この「銀閣寺」は、15世紀の
室町幕府8代将軍、足利義政が、
別邸として建設したもの。

息子を将軍後継者にしようとする
夫人の日野富子と、それを担ぐ大名、
さらに対抗馬を担ぐ大名の争いに巻き込まれ
「応仁の乱」を招いた
「無能な将軍」として知られる人です。

実際、京都が争乱で焼け野原になる傍ら、
自らはこの離れた場所に隠居し、
趣味に没頭していたわけですから、
「無責任」と言われたのも
仕方ないかもしれません。

ただ、この将軍がやろうとしたのは、
文化で暴力に対抗すること。

この地味で小さな建物に
禅、茶の湯、絵画、能などの文化人を招き、
ひたすら文化復興に努めていたわけです。
力を取り上げられた将軍が、
大名たちの巨大な軍事力に対抗するには
それしかないと信じていたのですかね。

11年も続いた応仁の乱、
結果的に京都の中心部は焼け野原になり、
日本はほとんど無政府状態になる。
乱を招いた大名たちは、
やがて地方で力を得た戦国大名に
淘汰されていきます。

しかし将軍、義政が
銀閣でつくりあげた文化はといえば、
千利休などの後継者の得て
武士たちに共通の規範や思想体系となり、
信長や秀吉が国家を再統合する際の
バックボーンになっていくわけです。

現代の私たちの考え方にも、
このとき義政将軍が始めた文化復興の影響は、
残っています。

だいたい私たち「家」といえば、
この銀閣のような建物を、
普通は想像するわけです。
当たり前のようですが、当時は物珍しい
異質な建造物だったんですね。

「お茶」の文化も、この地から、
将軍様も、庭から出た湧き水で
お茶をずっと立てていたとか。

もっと見なされていい、この場所。
豪華さはありませんが、
なんとなく落ちつくところです。





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