二宮金次郎の思い

先日ブログに書いた
「開基1080年」を迎える成田山新勝寺。

その入り口のところに、
こんな碑があります。
「二宮尊徳翁開眼の地」

二宮尊徳とは、つまり二宮金次郎さん。
薪を背負って、
歩きながら本を読んで勉強した
……という、
全国のたくさんの銅像がある人物ですね。

江戸時代、小田原の
貧しい農家に生まれた子……でしたが、
なぜ彼が、
成田山で開眼しているのだろう?

そもそも二宮尊徳さんって、
何をした人か知っていたでしょうか?

苦学したことで有名になれるなら、
誰も苦労はしません。
彼が勉強した結果、なったものはといえば、
今でいう「コンサルタント」です。

農業経営の専門家となり、
各藩に招かれて、農業政策に携わりました。
つまりは江戸時代において、
士農工商の身分を超越した
成功者だったんですね。

そんな彼のキャリアの到達点は、
55歳のとき。
ついに幕府に、
召し抱えられることになりました。
そこで彼は、幕府直轄地だった
下総の農業政策を任されたんです。
今の千葉県になります。

けれども、これが簡単ではない。
なんせよく氾濫することで知られる
利根川の問題がありました。
彼は水路の建設工事なども提案したのですが、
採用はされません。

そこで「神頼み」もしたんですね。
近くにあった神仏といえば、
やはり成田山になります。

彼は21日間の断食修行を行ない、
不動明王に、農村の発展を祈願した。
困った人のために、
それだけのことをしたのですから、
やっぱり偉人だったわけですね。

結局、下総の農業政策は、
一定の成功をおさめたのでしょう。
彼はその後、日光などの農業政策にも
携わります。

彼が身分を超越した成功者になったのも、
やはり「人のため」という
思いが強かったのでしょう。

「苦学の人」でなく、
むしろその功績を
私たちは記憶するべきですね。



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