人は城、人は石垣、人は堀

「人は城、人は石垣、人は堀、
情けは味方、仇は敵なり」

そう言って
「城を持たなかった」とされる戦国大名。
ご存じ、武田信玄公ですね。

この歌は、じつは創作だそうですが、
実際、彼は城に居住しませんでした。
では、どこに住んでいたかといえば、
写真の場所。

中央の広場が、発掘区域として
保存されている遺跡。
その向こう側が、
「武田神社」です。
ここ一体が武田家の館、
「躑躅(つつじ)ヶ崎館」
と呼ばれる場所ですね。

先日、
今年後半を乗り切るパワーが欲しい!
……と、
わざわざ甲府まで行ってきました(笑)

写真の右側には宝物殿もあります。
信玄像は現代のものですが、
信玄や山本勘助、
高坂弾正などの刀があるのは。
ちょっとワクワクします。
考えてみれば、こののどかな場所に、
24将と呼ばれる人たちが、
そろっていたわけですね。

戦国大名としては珍しく、
通常の館を本拠とした信玄さん。
(「日本の名城」には、
ここも入ってますが)

でも、実際はこの周辺に2、3の城を築き、
城の包囲網によって、
この館周辺が守られるようにしました。

一方で、現在の武田神社から
一直線に続く地域は、
京都を真似たような城下町にした。

人は城で、自分が率いる騎馬隊にも
絶対の自信をもっていたのでしょうが、
その一方で自然の利を生かし、
また、
「経済的な繁栄がないと国は強くなれない」
と、強く認識していたのでしょう。

結局、信玄の息子、武田勝頼は、
ここを捨てて城に移ったあとで
滅亡しています。

マキャベリさんも
君主論』で言っていますが、
鉄壁の要塞がリーダーを守るのではない。
あくまでそれを守る人々による信用が
リーダーの地位を確固たるものにする
……ということですね。

信玄さんはそれをわかっていた。
現代のリーダー論にも通ずる教えでしょう。





[仕事ができる人の歴史入門]
夏川の「日本史」入門はこちら
コメントはありません。
| | url | | |