世界的な「子供の日」に

子どもの日……といえば、
日本では5月5日ですが、
じつは11月20日というのは
世界的な「子どもの日」だったそうです。

1989年に国連で
「児童の権利に関する条約」が
世界的に採択されたことにちなんでいる
……とのことですね。

じつはこの
「児童の権利に関する条約」は、
その30年前に起草された
「児童の権利に関する宣言」を記念したもの。
世界を駆け回って
この起草に尽力したのが
小学校の先生だった1女性。
エグランティン・ジェップさん
……という方です。

ときは第一次世界大戦が始まるころ。
「神の啓示を受けた」とのことで、
いまで言う社会起業をイギリスで始めた彼女は、
やがて敵国だった
ドイツやオーストリアの子どもたちが
大変な貧困に苦しんでいることを知る。

そこで
「セーブ・ザ・チルドレン」
という団体をつくり、
「戦争に関係のない子どもたちを
国境の枠を超えて守ること」を
世界にうったえ続けたんですね。

インターネットもない時代、
とうとう国連まで巻き込んで、
世界的な採択をさせてしまったのは
かなりすごいこと。
「思いつき」でも、
その信念が人々の心を打てば、
世界を動かすことができるわけです。

ちなみにこの
「セーブ・ザ・チルドレン」。
3つの柱からなる活動をしているそうですが、
「子どもを尊重し、大切にする」
「子どもに生きる希望とあらゆる機会を提供する」
とともに、
「子どもから学ぶ」
ということも掲げているとか。

かつて
『大人の頭で考えない。』という本も書いた私。
実際、子どもたちと話せば、
常識を突破する発想に驚かされるし、
「わかりやすく説明する」
ということの難しさもわかる。
また、子供たちから得る情報には
新しい時代の変化を感じ取ることも
できるんですね。

とくに身近に子どもがいない方は、
ついつい大人の思考で固まってしまう。
こういう機会に思い出したいものです。

写真はその昔、静岡で、
子どもたち向けの講義をしたときのもの。
こういう活動は、
またどっかでできたらいいなあ……。




[効率無視の仕事術]

「親知らず」の仕事術

歯医者に通い始めたという話は、
前にブログで紹介しました。

じつはその歯医者さんで先日、
「親知らず」を抜いてきたんです。
正確に言えば、根本だけ残った
「親知らずのカケラ」ですかね。

別に痛かったわけではありません。
昔は痛むこともあったのですが、
治療したりして、
ここ数年は何ともなかった。
でも他の歯の治療にあったら、
「根本だけ残ってますね」
ということになり、
いずれ汚くなるかもしれないから……と、
抜歯することになった。

抜いたらズキンズキン痛んでましたから、
ちょっと損した気分ではあります(笑)

そもそも15〜20歳の、
昔なら元服したり嫁いだりして、
「親のあずかり知らぬところ」
で生える4本の奥歯。

悩まされたり、今も悩んでいる
……という方は多いでしょう。

そもそも何でこんな
面倒くさい歯が生えるのか?

じつは過去の日本人の歯を見れば、
4本揃う確率は、縄文人で8割。
鎌倉時代で4割になり、現代で3割。
5人に1人は1本も生えないそうです。

さらに人類史をくだると、
ホモ・サピエンスの前の
ホモ・エレクトゥスの時代には、
4本ちゃんと揃っていたそうです。

つまりその昔の人類は、
生肉なども食べていた関係で、
顎も大きく、
たくさんの奥歯を必要としていたんですね。
「親知らず」は噛み切るために
必要な歯だったわけです。

ところが火で加工する術を知り、
そこまでの顎の力は必要がなくなる。
ホモ・サピエンスの時代になって、
人間の顎はかつてより小さく進化します。

それで
子どものうちは小さすぎてスペースがない
→じゃあ大人になってから出てこよう
→いや出てこなくもいいんじゃないか?
……と。
現在はそんな「退化」の
移項過程にあるようですね。
だから非常に面倒くさい存在になっている。

でも、逆にいえば、
私たちは「親知らず」によって、
人類のパワーアップ段階をリアルに感じることも
できるわけです。
まあ、その気になればですが……。
痛む方はそう思うようにしてくださいませ。

写真は歯医者さんの待合室に
置かれたオモチャ。
子どもさんに人気のあるところだ
……とうことはよくわかります。



[公私混同の時間]

酉の市の熊手、今回は「笑門」です!

11月18日は
「二の酉」の日でした。

独立してからずっとの恒例になっています。
今年も目黒の大鳥神社で
「熊手」を新しくしてきました!

いつも据え置きタイプの
招き猫が乗っているものを
同じ出店で買うのが恒例になっています。

今年も据え置きタイプには違いないのですが、
今回は猫がいない……。

まあ「在庫がなかった」というのが1つですが、
目の前にあったこの
派手な山盛りの飾り付けに
「笑門」と大きく札がついているのが
気に入ったんですね。
少々、値段は張ったのですが、
おひねりも出し、これからの1年は
これを飾って頑張ります!

にしてもこの「笑門」。
「笑う門には福来る」かなと思いきや
もっと深い言われがあるんです。

調べると、スサノオノミコトの
神話に端を発しています。

日本が出来上がる前のその昔です。
彼が伊勢志摩に旅したとき、
「蘇民将来」という
貧しい人物に宿を借りたんですね。

スサノオはそれに感謝し、
「蘇民将来子孫家門」という
札を授けました。
その子孫は未来永劫、
無病息災で栄えていく……ということです。

それが「将門」という
護符になって伝承されたのですが
平将門さんの反乱があり
いつしか「笑門」と
読み替えられるようになった。

いまでも注連縄などに、
この護符が使われるそうです。

そもそも熊手は武器であり、
ヤマトタケルが鳥の神様に
奉納した……とされますが、
それに神田明神の神様になっている
平将門さんに、
スサノオノミコト……と。

他にも見るとさまざまな要素を
盛り込んでいるみたいですが、
ともあれ来年は
「笑ってハッピーな1年」になるよう
お仕事に励むことと致しましょう。



[公私混同の時間]

「最強の騎兵隊」の夢の跡

池尻大橋の駅の近く、
小高い丘を登ったところに
東邦大学の大橋病院があります。

私は定期的に
母親をここへ連れてくるのですが、
その丘をさらに登ったところ、
団地の入り口にこんな巨大な碑があります。

「天覧台」……なんかすごい雰囲気ですが、
いまはその下、
高校のグランドになっています。

しかし明治時代にはここに
「陸軍騎兵学校」があったんですね。
その訓練の様子を、
ここから明治天皇がご覧になった
……とのことです。

「陸軍騎兵学校」というのは通称で、
もともとは「陸軍乗馬学校」として
麹町につくられました。
それがこの地に移転し、
「陸軍騎兵実施学校」となった。
「陸軍騎兵学校」
となったのは大正時代で、
その時代は習志野に移転します。

ということは日露戦争で活躍した
日本騎兵はここで生まれた
……ということになるのですが、
それを育成したのが有名な
「秋山好古さん」ですね。

「日本騎兵の父」と呼ばれ、
海軍で活躍した秋山真之さんの兄。
司馬遼太郎さんの小説
『坂の上の雲』の主人公です。

「男子は生涯一事をなせば足る」
……とはこの方の名言ですが、
生涯を「世界最強の騎兵隊をつくる」という
一点に捧げた方でした。

じつは当時、最強の騎兵とされたのは
ロシアのコサック兵だったのですが、
秋山さんは常識破り……というか、
掟破りの騎兵をつくった。

敵に遭遇するや、馬から下りて、
当時の最新兵器だった
機関銃をぶっ放す、という戦い方ですね。
これは機動力に加え、
火力もあるのですから圧倒的です。

そんなわけで英雄になった秋山さんですが、
あまり出世には興味もなく、
晩年は故郷の松山で
中学校の校長先生をしていたとか。

この地の学校もなくなり、
その後の日本の軍は暴走していくわけですが、
すると目黒の
「陸軍騎兵実施学校」は、
強かった日本の、
最後の武士道的戦士たちの跡地
……であるのかもしれないですね。



[仕事ができる人の歴史入門]
夏川の「日本史」入門はこちら

「明治屋」と武士道

お洒落な紙袋は、
スーパーマーケットのものです。
普通はポリエチレンでしょう
……と思うのですが、
ここだけは違います。

「セレブ御用達」で知られる
「明治屋」さんですね。

まあ、私もめったにお買い物しませんが、
生まれた頃から広尾にあるので
よく知ってはいます。

このお洒落なスーパーが、
「武士道」に関係しているというのは
意外に思うかもしれません。

明治屋の創業は明治18年。
創業者の磯野計(はかる)さんは、
津山藩の武士の家に生まれました。
ずっと武士の教育を受けますが、
10歳で明治維新を向かえた
……という経歴なんですね。

新渡戸稲造さんの『武士道』には、
経済的活動を嫌う傾向から、
武士出身のビジネスマンは
ことごとく失敗したと書かれています。

しかし磯野さんは、その例外。
10歳にして時代がひっくり返ってしまった彼が、
まず何をしたか?

英語を学んだ……ということなんですね。
藩の奨学生となり、
幼くして東京に出て、
新しい外国の学問を学ぶ。
やがて東大に合格し、
いまで言う「弁護士」になりました。

ところがその職を彼は放棄してしまう。
今度は岩崎弥太郎の
三菱財閥の奨学金を得て、
イギリスに留学してしまったわけです。

そこで海外の人脈を得て、
輸入商品を販売する会社
「明治屋」を創業することになりました。

なんでも日本にビールを広めたのは、
ほとんど磯野さんの功績。
現在のキリン、
当時の「ジャパン・ブルワリー」と組んで、
イベントに、ビヤホールに、
かっこいい広告に……と
先進的なマーケティングを
どんどん展開したんですね。

磯野さんは若くして
39歳で亡くなりましたが、
創業の精神は、この紙袋のロゴを見ても
引き継がれていることが想像されます。

「武士道は古い日本の建設者っであり、
またそこから生まれた製造物でもあったのですが、
今なお過渡的日本を導いていく原理であり、
また新しい時代を想像する力にもなっていく」

『武士道』の言葉ですが、
そうして生まれ、
今なお続けている会社は、
身近なところにちゃんと残っているんですね。



[夏川賀央の「古典学のススメ」]