「当たり前にやらない」仕事術

たまにはこんな記事も
……ですが、画像の料理。

「ゆで卵とチーズのハヤシライス」

「レタスたっぷりチャーハン、
食べるラー油のせ」
で、ございます。

こちらは両方、私がつくったもの(笑)

見た目はともかく、
どちらもそれなりに美味しく
食べることができました!

ただ「調理」なんていう
大それたものではありません。
ただ、レトルトだったり
冷凍だったりの商品に、
なんかそのままだと悔しいから、
冷蔵庫にあったものを付けただけ……。

そりゃあもう、
ピザ用のチーズをまぶしたり、
瓶詰めの商品を乗せただけなのですが、
それなりには独特の美味しいものが
できるわけですね。

まあ、たまに実験的にやってみて、
変なものを仕上げてしまうことはあります。

ただ、当たり前のことを
その通りにやるのでなく、
たえず「プラスアルファのアレンジ」を
試してみることって
案外と重要ではないかと思うわけです。

それは料理だけでなく、
本の文章などでも同じでしょう。

「いつもどおりに書いていく」のは
簡単なのですが、
たまにちょっと逸脱してみたり、
アカデミックな例を入れてみたり、
ネットで見かけたような表現を入れてみたり、
ときどき思いっきり情熱的に
なったりしてみる。

思考錯誤ですが、
そうしたひと工夫をいつも加えてきたから、
自分の文章術は発展してきたような
気がしています。

もちろん上手な文章を書く人は、
それでまったく構わないのでしょう。
しかし私のような味も何もない、
編集者上がりの分筆家だと、
いつも時代に取り残されることを
心配してしまう。

そうならないように、
つねに実験的にでも
変化することを意識してみる。

案外とそういう考えが、
長くひとつの仕事を続けるコツではないか
……という気がしています。

まずは「ひと工夫」をしやすい、
料理などから。
ぜひ、いろんな実験を
試してみてはいかがでしょうか?



[効率無視の仕事術]

「成人式」と「元服」

1月15日、かつてこの日は
「成人の日」でした。
私もずいぶん昔の今日、
新成人になったわけですが、
いまは「1月の第二月曜日」ということで
1月14日が成人の日になりましたね。

でも、18歳選挙権などもあるから、
つい、わからなくなってしまう。
いま、みんな
何歳で成人式をしているのだろう?

まあ、20歳で間違いないのですが、
それも2022年まで。
あと3年後には、高校3年生の人が、
「新成人」になるようですね。

でも、高校生で成人で、
本当にいいのだろうか?

それを言ったら、
現在、多くの20歳が大学生であることも、
そう変わらないのではないか?
だいたい、かつての武士は
13歳とか14歳という年齢で
元服して成人になったのでは……?

問題は年齢でなく、
「大人としての社会的責任を背負えるか」
ということなのだと思います。

かつての日本の元服。
もともとは貴族の慣習だったそうですが、
武士はそれを踏襲し、
13歳から16歳くらいまでの間で
元服をします。
決まった年齢でなく、
家の当主が定めるものだったようですね。

なぜ当主が定めるかといえば、
「コイツはもう大丈夫かな?」と
責任を担えるかどうかが
重要なポイントになるからです。

つまり武士にとって
「成人になる」というのは、
ようは「戦士として戦場に行く」という
過酷な人生を受け入れることだからですね。

でも、それを望まない新成人は
ほとんどいなかったでしょう。

というのも、
「元服して何が変わるのか?」といえば、
刀や髪型以上に、
「名前」なんです。

たとえば織田信長は、
13歳のときに元服して
それまでの「吉法師」という名を
捨てています。

元服するまでの名前というのは、
ある意味、「ポチ」と呼ばれるようなもの。
何をやっても自由なんです。
ところが成人して名前を与えられた途端、
その名前に責任をもち、
その名前の価値を高めることを求められる。

これが武士道で言うところの
「名誉」だったわけです。

新渡戸稲造さんも『武士道』で述べています。
「名前を汚されることは最も恥ずべきこととされ、
廉恥心の感情は、武士の少年の教育で
最も早く養成されるものの1つなった」

礼儀を重んじ、品行方正に生き、
厳しく自分を節制したのも、
与えられた自分の名を汚さないため。

戦場で功績をあげたいと思うのも、
与えられた名前の価値を
より高めようとするからです。

現代人はあらゆる場で、
こうした「名前に恥じぬ」という考えを
忘れているかもしれません。
それは20歳でも50歳でも
変わらないことでしょう。

今一度、私たち大人は、
「名誉の重さ」を
よく考える必要があるかもしれませんね。



[武士道の読み方]

味わってほしい「日本人のこころの追求者」の思想

画像に紹介した本は、
「古典」というわけではありませんが、
古代日本の思想を追求した本。

すべて哲学者・梅原猛さんのものですね。
1月12日、
93歳の人生を閉じたということです。

くしくも同じ日に、
女優の市原悦子さんが亡くなっていますが、
優れた方々が年の早々に
次々と逝ってしまうのは寂しいですね。

哲学者、梅原猛さんの本。
古今東西のさまざな思想と比較しながら、
独特の奇抜な発想で、
古代人の感覚を読み解くもの。

それは歴史学という立場から見れば、
どちらかといえば「異端」の考え。
批判も浴びてきました。

それでも「面白い」んです。
だから自分の書棚をざっと見ただけで、
これだけの本をすぐピックアップできる。
けっこう読んでいるですね……。

そのなかでも特筆したいのは、
拙著、『君はこの言葉を知っているか?』で
参考にさせていただいた
『最澄と空海』という本。
(小学館文庫)
この本では、最澄という人物の言葉を
紹介しています。

天台宗の祖・最澄さんは、
頭が少し固い人で、
若き天才だった空海に圧倒された人
……と日本史ではよく描かれます。

けれども梅原さんは
その最澄にスポットを当て、
自分の凡人さをよく理解していたからこそ、
懸命にあがいて
生き方を模索をした人ととらえています。

「自分は狂った人間のうちで
もっとも狂った人間、
愚かな人間のうちでもっとも愚かな人間で、
何をすることもできない無能力な人間だ」
だから「このはかない人生の中で、
できるだけ善を積まなければならない」と。

それが「自利利他」という思想に
つながったんですね。

その『最澄と空海』には、
こんな一説もありました。

「日本人はずっと古くから
一つの信仰をもってきたと思われます。
それは草も木も、山は川も
人間と同じ生命を生きているものである
という考え方です。
それゆえに、すべてのものが神であり、
神性をもっています。
それゆえに、人間が死ぬと
必ず神になるわけです」

それは確かに、
私たちの考え方かもしれません。
みんな神になるんです。
そう考えて、
いまをしっかり生きていきましょう。



[夏川賀央の「古典学のススメ」]

日本にもいたストラディヴァリウス!

画像は港区の魚らん坂付近を歩いていて
見つけた石碑。

「石村近江」という人を、
記念したもの。
この奥にある大信寺というお寺に
眠っているようです。

といって、
この方を知っていたでしょうか?
私などは「誰?」……と、
思ってしまうのですが、
その分野の人から見れば、
神様のような人物。

説明には
「江戸における三味線制作の始祖」
とあります。
じつは「日本のストラディヴァリウス」と
呼ばれるくらい、
名工として知られた人。

江戸を通じて代々、
優れた三味線をつくり続け、
いまでも相当な値段がつく
「古近江」というブランドを
つくり出した人物なんですね。

近くにある説明書には、
こんなふうにあります。

「三味線はわが国の代表的な楽器として、
世界に知られています。
十三世紀ごろ中国に三絃としておこり、
琉球に伝わり、
十六世紀ごろ摂津の堺に伝来して、
京阪地方の琵琶法師に用いられていました。
その後種々の技法を採り入れた石村検校と、
それを継いだ石村近江は、
日本の三味線として、
多数の名器を相継いで世に出し、
邦楽の発展に寄与しました」

なるほど、
楽器製作の世界にのめり込み、
限りなく美しい音を追求した探究者が
日本にもいた……ということですね。

いまのバイオリンにおける
ストラディヴァリウスのように。
江戸の庶民たちは、
その音色の世界における格差を
よく認識していました。

「古近江と しらず弾いている ひんのよさ」

そんな俳句もよく語られたそうです。

いまの日本人はほとんど、
その音色を聞き分けることなど
できないかもしれません。

けれども楽器にこだわり、
美しい音を出す楽器に
大きな価値を見出す文化があったことを
忘れてはいけないですね。

私たちの国が、
誇りすべきものの1つでしょう。



[仕事ができる人の歴史入門]
夏川の「日本史」入門はこちら

これからの「病院」の仕事術

先日のブログでちょっと触れましたが、
いま母親が病院に
検査入院しています。

それでお見舞いと言うか、
荷物運びにたびたび行くのですが、
その病院が、
新築したばかり……の
すごいところなんです。

その様子を見ると、
「これから未来の病院は、
こうなっていくんだな」というのが
なんとなく想像でます。

まず入り口でもらうのは、
「バーコード」です。
そのバーコードがないと、
隔離された入院病棟に入れません。

患者さんの腕にも
バーコードの腕輪をしてもらい、
出入りや、あるいは検査の予約は
すべてこれで管理。

病棟を慰労する際は、
必ず消毒をもとめらるし、
マスクも絶対に着用です。

別に伝染病ではありませんよ(苦笑)
院内感染をやはり恐れているのでしょう。
さらには効率化と、
ヒューマンエラーを極力、
防ぐようにしている。

だから受付とか、
お金の支払いというのも、
全部、機械でやるようになっていますね。
お年寄りの患者さんは、
いつも困っている感じです……。

そんなオートメーション化と、
あまりにも新しい建物ですから、
どうしても冷たい印象は受けてしまいます。
なんとなく拉致されて
研究機関に送られる……といった、
SF映画を彷彿させたり。

それでも救いなのは、
もともとが古い病院ですから
看護師さんなどが非常にアバウトで
大ざっぱなこと。

最新施設であっても、
働く人の中身だけは旧来どおりの
下町感覚のようです。
お年の方も多いようですね。

これからのAIの時代、
進化すれば進化するほど
人は人間的なものを求めるような気がします。

それは世代が変わっても、
たぶん不変なのではないかと思う、
私たちはそのことをつねに意識して、
進化する仕事に対応していかなければ
ならないのではないか……。

そんなことを考えさせられます!



[効率無視の仕事術]